ハロアル報告会に行ってきました!御代田&新栄町歯科医院 (^o^)/

4月14日に恒例のハローアルソン活動報告会に長野県御代田町へ、そして4月21日に、胎内市新栄町歯科医院へハロアルフィリピン医療ボランティアの報告会に行ってまいりました。
会場は、超満員の350人の方が集まってくださいました。

      
 感銘を受ける講話をされる林 春二先生             ほぼ満席の会場

私も「チェンジ」というテーマで報告しました。高校生の情熱的な発表とは打って変わり、緊張のためカミカミの発表になってしまいました。
誰か、カミカミにならないよう噛み合わせを上手に治す歯医者さんを教えてください。(笑)

      
      かんだ瞬間                次回は、父さんかまないからね

引き続いて4月21日は、大学の先輩、佐久間先生の胎内市の新栄町歯科にて、この報告会の内容と「美歯(ビバ)!ビューティフルライフ」と銘打って歯の表面ケアについて、2本立てでお話しして参りました。

   

みなさん、午後は休診なのに話を聞いていただき、ありがとうございます。
その後、佐久間先生に新発田の口の上でとろける焼き肉「精香苑」さんでご馳走になりました。
決して、焼き肉が目的なのではありません!
ちなみに、私の息子(8歳)は、精香苑で焼き肉をご馳走になる日は佐久間先生のことを「お父さん」と呼びます

ハロアル 医療活動3日目

2月10日  医療活動3日目

 

 AM 5:30  このモーニングコールもかれこれ8年目となると体が無意識に反応し、普段仕事に行く起床時とは何処となく違った気持ちで朝を迎えます。「今日」という日にどのような出会いと感動があるか、窓から映る動き始めたマニラの街並みを見ながら、ふと、日本での毎日をこんな“わくわく感”で過ごせているだろうかと自分の人生を少し顧みました。

 しかし隣ではこれも毎年のことながら9年目となる現地活動責任者の今西先生が相変わらず深い眠りについています。彼をたたき起し、朝食会場に行くと「ハロアルTシャツ」

を着た参加者たちが既に集まっています。「おはようございます」と元気な声で挨拶を交わします。昨日は2グループに分かれ別々の活動場所でしたが、今日はいよいよこのチームが一つになります。皆とってもいい顔です。さて今日はどんな感動が待っているでしょうか。

   

 ホテルの前には既に私たちを先導する救急車が2台列をなして待機しています。マニラは世界でも有数の渋滞地区です。出来る限り多くの患者を診る為には地元の協力を得て現地に向かわなければいけません。器材をバスに入れいよいよ出発です。けたたましいサイレンが鳴り響き、路上の人達が怪訝そうに見ています。渋滞の中を割って入るようにバスが進み、少し申し訳なさそうに窓を見つめながら参加者たちはこれから始まる活動へ沸々と意欲を高まらせていくのでした・・・

 

「バランガイ 649 ゾーン 68」

BAGONG LUPA(BASECO)PONT ANEA MANILA

活動場所 マニラ高校内 を使用

対象   生徒70名 及び 周辺スラム住人

患者数      588人

(保存)     118人

(抜歯)     219人

(クリーニング) 377人

(投薬)     191人

       

 この地区はマニラ最大のバランガイです。約51,060人の人達が生活をしています。もともとこの地区はフィリピンの地図には記載されていませんでした。海沿いに面したこの地区は「BASECO」という造船会社が工場を作りその周辺に数人の人間が生活をしはじめたのが始まりでした。その後、スクワッター(不法居住者)が大勢押し寄せ、いわば勝手に集落を作ってしまったため、1997年 見かねた政府はその周辺を埋め立てし現在のバランガイを作り、国内の地図にもこの地域名を認可しました。

 主にここの住人は漁師や船場で働き生計を立てています。一日の労働で得る報酬は200~300ペソ(400円~600円)程度で一家族平均7人。子供たちの就学率は70%ほどで、さらに高校へ進学できるのはその半分ぐらいです。今回、私たちはこのスラムの中心的位置に建設されたマニラ高校を会場としてお借りすることが出来ました。日本のようにコンクリートでとても大きく、立派なこの高校はまさに、竹や木をくくりつけただけのスラムに住む人々の憧れの象徴のようです。子供たちはこの憧れの高校へ進学をしたいことでしょう。しかし、貧困は同じ地区、同じスラムに住んでいても、学校に通える子とそうでない子を生んでしまいます。私達が活動準備をしていると、金網に囲まれた敷地のゲートから「ジー」とこちらを見る小さな子供がいます。靴もはかず、服もボロボロ。私は数秒間彼から目が離せませんでした。生気のないどこかさみしそうな目に…現在AM 9:00 気温 29度 いよいよ今年最後の医療奉仕活動が始まります。

    

 左右にいくつかの教室が並びそれを繋げる二階部分の下、広い吹き抜けの踊り場のような場所が今回の活動場所です。

 今西先生の指示の下、手早く各ブースが作られていきます。団旗が掲げられ74名の参加者が今一つになろうとしています。検診ブースの先にはもうすでに大勢の患者が列をなしてカルテを記入し始めています。いよいよ開始の時です.

  

私は皆に伝えます。「今日が今年のハローアルソン・フィリピン医療ボランティア最後の医療活動です。この場所を見て下さい。この近代的な建物と後ろに広がるのは竹や木でできた劣悪な環境のスラム街。その光と影の間で私達は今からボランティアを行います。皆さん一生懸命、精一杯、全てを出し切りましょう。この地で燃えずして、この状況を見て熱くならないで、日本に帰り語ることなどできません。私達74名はボランティアの神様に守られています。決して失敗や事故などはおきません。心を一つに頑張りましょう!!」

見渡すとそこには成田空港で眠い目をこすりながら現れた「今どきの高校生」の姿はありません。そこにはこのボランティアを通じ、何かを感じ、悩み、目の前の患者に対し自分は何をしなければいけないのかを懸命に考えている青年たちです。

 

    

先生達が額の汗を拭う暇もなく必死に歯を抜いています。日本の診療室とは違いライトも器具もないこの環境で歯を抜きます。そして日本では絶対に抜くことのない歯を、心を鬼にして抜いていきます。そして語ります。「どうしてこんなにも怖い思い、痛い思いをしていても子供たちは泣き叫んでも口をあけたまま我慢しているのか。」高校生たちは黙ります。「それはもう二度と歯の治療を受ける事が出来ないと分かっているからです。もう二度と訪れない人生の最後のチャンスと分かっているからこそ怖くても必死に耐えているのです。」泣きじゃくる子供たちの手を高校生が握りしめます。先生達の手元を一生懸命ライトで照らします。そして血だらけになり、次々と歯を失っていく様子を目の当たりにし、高校生達は涙ぐんでいます。

    

私は言います。「目に焼き付けなさい。心に記憶していきなさい。そしてこの現実から学び、語り、自分の人生に生かしなさい・・」

 

クリーニングブースでは歯科衛生士たちが元気に明るく手作りの絵本を用いて、子供たちに歯の大切さ、歯ブラシのやり方などをお話ししています。皆、とてもいい笑顔です。子供たちは皆さんから頂いた歯ブラシを大切に握りしめ、歯科衛生士と一緒に歯ブラシを上下に動かしています。日本で集められた1本の歯ブラシがお口の中の健康と笑顔を繋ぐバトンとなり、今彼達に届きました。日本ではおそらく感じ得ることのないこの感動を決して忘れることなく、今回の経験を日本での歯科治療に生かして欲しいと思います。

      

 

「 入れ歯に込めるハロアルの思い・・」

「あと、残り15分――!」最後の患者を向かい入れるため今西先生が誘導します。いくつかのブースでは片付けが始まり、いよいよこの活動が最終を迎えます。そして一人の女性が検診ブースに歩み寄ります。

「上の歯を2本抜いて欲しい。」「どうしてしっかりしている歯を抜きたいの?」「全部歯を抜いて入れ歯を作った方が安いから、もう何年も歯がないからこの際抜いて欲しい」

つまり部分入れ歯は値段が高く買う事が出来ないため、総入れ歯にしたいとのことでした。

そのお口を見て今西先生が会長 林先生の判断を仰ぎます。「先生、この患者に日本から準備してきた器材でこの場で入れ歯を作っても良いですか。」時間的な問題もさることながら、このような状況でしかもその場で入れ歯を完成させることは日本では通常大変難しいとされています。しかし今回3回目の参加となった歯科技工士の田端さん、初参加の浅水さんのコンビが林先生の指示の下、入れ歯を作っていきます。少しずつ片付けが終わった先生たちがこの最終ブース「入れ歯作り」を見学に来始めました。私達の活動の歴史の中で初の試みとなったこの「入れ歯づくり」は、日頃往診先で林先生と共に数多くの患者さんの入れ歯を作り、治してきた日本での経験が成せるものです。さっきまで歯を抜いてくれと言っていた女性は少しずつ完成していく自分の入れ歯に驚きながらも、とてもうれしそうです。それもそのはず、本当なら歯を抜かれ、ひとつ約1,500ペソ(3,000円)の費用がかかる入れ歯を入れなければならなりません。一日働きたった200ペソの彼等には到底手の届くものではないからです。

   

そして林先生がかみ合わせを調整し、ついに完成しました。会場からはいつしか大きな拍手と歓声が沸き上がっています。女性は嬉しそうに鏡を見ながら何度もお礼を言い、彼等を抱きしめます。

今回製作した入れ歯はたった一人のたった一つの入れ歯でしかありません。過去をさかのぼれば入れ歯を必要とした患者は大勢いました。しかし、私達はその時その時、できるだけのことを全力でおこなってまいりました。そして会発足11年という年月を経て、一人の女性に入れ歯を提供することが出来ました。この新たな1歩が踏み出せたことはまさしくこの活動の理念でもあるように、日本での361日の賜物なのではないでしょうか。

田端さんや浅水さんの照れくさそうにその女性と写真に写る笑顔が何とも言えません。しかし私が一番印象に残ったのは、たんたんと義歯を作成し完成までの指示をおこない、この治療も日々日本で行っているものと何ら変わりのないように処置を行う林先生の涼しげな表情でした・・・

 

「スラム見学」 

 活動中、各班に分かれ数名ずつ、この会場を取り巻く周辺のスラムを見学に行きます。

見学は徒歩で約15分程度の範囲内で、この地区の人々がどのような生活をしているかを見学します。しかし、この地区は大変治安が悪いため、地元ロータリークラブは勿論、警察官も同伴の上、スラムの中に入っていきます。

 

  

 強い日差しが参加者を襲い、犬のフンや汚物が散乱するスラムの道を歩きます。異臭が鼻をつき、目の前に広がるのは、今にも崩れそうな竹を組みこんだだけの家屋でした。その中には一応の生活用品はあるものの、トイレはなく、水道などは勿論ありません。ハエが舞う台所には燃えかけた炭が見えます。その奥には生まれたばかりの赤ん坊が布きれ一枚に包まれながらスヤスヤと眠っています。職も無くただ煙草をふかしてこちらを見つめる男性。初めて見る日本人に歓声を上げる老婆。瓶や鉄くずが散乱するスラムを裸足で駆け回る子供たち。参加者たちの表情が少しずつ変化します。これが世界の現実でした。スラム街に住む彼等は私達がボランティアにこの地に訪れていることは理解しているも、あまりにも違う「裕福な日本人」という存在に、路地から見つめるその眼は、ある種の殺気さえ感じる時があります。

  

この現実を肌で感じた参加者たちは、いったい何を感じ、何を考えたのでしょうか・・・・

 

「別れの時」

 全ての活動が終了しました。あちらこちらで細かなゴミを拾い、荷物や器材がまとめられています。天候にも恵まれ、野外とはいえ日差しを遮る屋根もあり、一応の水やトイレも確保でき、こんなにも快適な環境で活動が出来たのは過去にも例がなかったように思えます。

 野戦病院のような熱気とボランティアの情熱に満ちた会場に海風が心地よく流れてきます。あんなに騒がしく大勢の患者で賑わったフロアに少しずつ西日が差してきました。

 参加者が各々、この活動の終わりを惜しむかのように写真を撮っています。今回も現地で私達と共にボランティアをおこない、毎年私達の安全、活動を支えてくれるマニラロータリークラブのメンバーに感謝の意を告げるとともに、歯ブラシ約1,000本、薬100人分を寄付致しました。

 バスに乗り込む時、この学校の校長先生が私に言いました。「今日の出会いとあなた方の活動に心から感謝をします。本当に貧しいこの地域にどうか今後とも支援をして下さい。」

 力強く握るその手に「私たちこそ、素晴らしい出会いを有難うございます。これからもできる限りの支援をおこなっていきます」と告げました。

 心地よい疲労感と皆が一つになってやり遂げた充実感が漂っています。

      

バスの外を見ると、抜歯ブースで見かけた男の子が私達に手を振っています。おそらくもう二度と会う事が出来ない子供たち。その瞳に私達ハローアルソンはどのように映っているのでしょうか。少しずつバスが会場を離れていきます。スラムの景色が遠く、小さく離れていきます。その男の子はいつまでも、いつまでも小さな手を振り続けていました・・・・

飛行機でたった4時間のこの場所。日本の子供たちが野球選手やサッカー選手に夢を膨らませる時、今日食べること、明日生き伸びる事に夢を見る子供たちがいます。

今日の出来事は同じ地球の同じ人間同士の現実である事を私達は忘れてはいけません。

ハロアルフィリピン歯科ボランティア活動の壁紙新聞が完成しました\(^o^)/

当歯科医院のスタッフ4名が中心となって、ハロアルフィリピン歯科ボランティア活動の壁紙新聞を作ってくれました。

  

忙しい中、診療後の時間も使って作ってくれました。
本当にありがとうございます。

みなさん、ぜひ、見に来て下さい。
そして、この壁紙新聞を作った羽尾歯科医院 春日山のスタッフの熱い思いを感じて下さい。
作ってくれたスタッフは、実際にはボランティア活動には行っていませんが、このような素晴らしい新聞を作ってくれました。

ボランティア活動は365日です。

物資集め(歯ブラシ、タオル、石けん)
募金活動

でも、一番大切なのは
周りの人に伝えること だと思います。

    

ハロアル 医療活動 初日

2月9日 医療活動 初日

AM 5:45  

 プルルル―――。 けたたましく電話のベルが鳴ります。モーニングコールの受話器を取り、分厚いカーテンを開けると、まだ夜が明けきれぬ紫色の空にマニラ湾が静かに揺れているのが見えます。昨年の9月末この地区を大きな台風が襲いました。10数メートルを超える巨大な波しぶきを生み、道路や繁華街まで浸水の被害をもたらしました。水はけの悪いマニラ市内は数週間あちらこちらで大きな水たまりができ、ミンダナオ諸島ではその台風の影響で多くの方が亡くなりました。私は窓を見つめこれから始まる医療活動に胸を躍らせる一方、静かに揺れるマニラ湾の被害に昨年日本を襲った大津波を思い出さずにはいられませんでした。 

AM 7:15

 

 ホテルフロントに2台のバスが到着しました。器材担当 副団長 木本先生から指示が飛び、手際よく器材が搬入されていきます。

 フロント前には全員が揃い記念撮影です。ハロアル団旗が広げられ高校生たちが前に並びます。これから活動に向かうに当たり皆少し緊張した面持ちです。A班リーダーのシンギさんから掛け声が飛びます。「ハローアルソン!!」いよいよ各班に分かれ出発です。半分に分かれた参加者は今日はもう活動終了まで会うことはありません。

 バスの前には私たちをエスコートしてくれる救急車が2台並んでいます。

 さあ出発です。

    

 

A班 「カビテ市 ビナカヤン小学校」

対象者    ビナカヤン小学校の生徒

患者数     286人

(保存)     30人

(抜歯)     118人

(クリーニング) 138人

(投薬)     98人

 

バスを降りるとそこに待っていたものは日の丸を振りながら歓声を上げる子供たちでした。また学校中の楽器を書き集め歓迎の演奏をしながら学校中の子供たち、先生が出迎えてくれました。

 実はこの学校は過去に物資の配布のみを行ってきました。先生達からも「是非、デンタルミッションをやって下さい」と毎年懇願されており、今年やっと念願の歯科治療を行うことができ、例年以上に生徒達は興奮しています。

 沢山の日の丸の旗がフィリピンの空になびいています。参加者は皆照れくさそうに各自バスから器材を運んでいます。現地活動責任者の今西先生の指示の下素早く診療ブースが作られていきます。患者の導線、うがい用の水の確保、電源や荷物の保管場所。検診ブース、抜歯(歯を抜く)ブース、保存(歯を削り詰める)ブース、クリーニングブース、消毒ブース、そして投薬ブース。各自が振り分けられた係りに従い大急ぎで準備をします。一人でも多くの患者を治療する為に皆必死です。

 

 いよいよ準備が整いました。検診ブースの先には子供たちが長蛇の列をなしています。

治療チケット「1番」を持った子が 会長 林 春二 先生 の所へ歩いてきます。

彼達はこの日をどんなに待ちわびていたでしょうか。その手にはしっかりと皆さんから頂いた歯ブラシが握りしめられていました。

 

 この学校は国立の小学校です。生徒数2,047名 幼稚園も併設されているため5歳~13歳までの子供たちが通っており、この学校を中心として貧困層のスラム街を形成しているのが特徴です。学費の高い私立の小学校より国立へ編入する生徒も増え、また海沿いに位置するこのエリアは漁師としての生計も比較的立てやすいため、年々居住者が増加しています。

  

 しかし、全ての子供が学校に通えるわけではなく、たとえ通えたとしてもノートや鉛筆といった文具は皆無に等しく、支給される教科書などは10人に一冊程度です。

 今回、この学校には日本から用意したノート1,700冊を支援しました。これは日本では学年が変わったり進学したりすれば、大抵の子供たちは全て使いきっていないノートでも、また新たに購入し、新調するはずです。その余ったノートの残りの部分を物資として頂き、重ね合わせ「ハロアル・ボランティアノート」として生まれ変わらせました。

 これは3年前、この学校の校長先生とのインタビューで、「何がこの学校に必要ですか」と質問をした時、先生は「ノートと鉛筆が欲しい」と言いました。しかし、すぐには人数分は集めることはできません。3年という年月を経て全国から頂いた物資をようやくお渡しすることができました。校長先生をはじめ子供たちはとても喜んでくれましたが、慢性的に文具が不足している現状の為これからも継続的支援を約束しました。

 

 

B班 「バランガイ 8 エリア・SAN LORENZO  RUIZ」

住人数      4,500人

12歳以下      450人 

60歳以上      200人

活動場所 「カビテ市立大学校舎内を使用」

対象者    周辺スラム住人

患者数      280人

(保存)     28人

(抜歯)     159人

(クリーニング) 91人

(投薬)     144人

 

カビテ市内最大のバランガイであり、年々その住人達は増え続けています。海沿いに面したこのスラムは漁師が最も多くそのほかは建築現場などで仕事をしています。子供たちは、一応小学校はほぼ通学はできるものの、途中で仕事をせざる負えない子や16歳になればほとんどが何らかの仕事をし、家族を支えていると言います。この地域では病気になると軽度の場合は無料のクリニックで治療を受けることはできますがそれ以上の治療に必要な薬は自分で購入しなければなりません。また更に重度な病の場合は治療費が払えないため「死」を待つ他ありません。歯科治療については全ての住人が「人生で初めて」と答えました。

 私がこの地区のリーダーに質問します。「このバランガイで最も必要なものは?」リーダーは言います。「トイレが欲しいです・・」このスラムには約60%の住居にトイレがありません。住人達は一定の場所で排便をせず“その辺”でしてしまいます。その上このスラムは海抜0メートルに位置し、満潮時には住居の下ぎりぎりまで海水が浸水します。その為汚物や排泄物がとても不衛生な状況で沈殿され悪臭を放っています。その水辺で子供たちは遊び、栄養状態の悪い子たちは足の傷一つで感染し死んでしまう場合があります。

 リーダーが言います。「今日のデンタルミッションは神様からのプレゼントです。もう一生巡り合うことはないでしょう。でも、私は祈っています。また来年皆さんにお会いできることを・・」

 劣悪な環境で生き、その周囲には高層ビルも見えるこの場所は、まさに貧困問題、貧富の差の縮図です。

 私は彼の話を聞きながら、私の周りに無邪気に集まる子供たちの将来を祈るばかりでした。

  

 

今回、A班・B班 2つのエリアに分かれ活動をしました。各グループとも一人でも多くの患者を治療する為に必死です。私が担当したB班では患者全てがスラム住人のため、その治療内容のほとんどが「抜歯」でした。日本では治せるはずの歯を子供たちは幼くして次々と失っていきます。そして血だらけになったガーゼを噛みしめながら「サラマッポ・ありがとう」と言います。その手には皆さんから頂いた歯ブラシやタオルがしっかりと握りしめられています。A班の責任者 今西先生から連絡が入ります。別会場で頑張っている仲間も皆同じ気持ちでしょう。

10歳にして前歯2本を失ってしまった目の前の可愛らしい女の子の瞳が忘れられません。

バケツの中には1本、また1本と抜かれた歯が貯まっていきます。その様子を見て一人の高校生が泣いています。「しっかりと目に焼き付けて行きなさい。これが現実です。ではこの現実を知ったあなたはこれから何をしなければいけないのだろうか。今見ている事を単に思い出にしてはいけない。私たちはこの現実から学ばなくては・・」

時計の針はすでに予定の15時を指しています。しかし、会長から「もう少し頑張ろう。まだ治療チケットを持っている患者は全て診てあげよう。」体力の消耗と疲労の中、最後の力を振り絞ります。ふと横を見るとさっきまで涙ぐんでいた高校生が、不安気に口を開ける子供の右手を握りしめ、「カナモヤン・頑張って」と叫んでいました。

   

最後の患者が終わりました。空は一面真っ赤な夕日に染まっています。私達はバスに乗り込みます。名残惜しそうに高校生達が写真を取り合っています。

もう二度と会うことはない子供たち。もう二度と戻らない人生の一瞬が、海風に揺られながら熱気に包まれた会場を流れて行きました・・・

2012年 ハローアルソン・フィリピン医療ボランティア 活動報告書

2012年2月8日

 「成田空港にて」

 早朝6時。日暮里駅のホームは成田空港行きの列車に乗り込む人たちで混雑しています。

その中でもひときわ目立つ数人の集団が見えます。大きなカバンを幾つも持ち、その一つには「RELIEF SUPPLIES HELLO ALSON」(救援物資)と書かれています。それを持つ幼顔には明らかに旅行客とは違う緊張した面持ちが伺えます。沢山の人達の思いが詰まったその袋を持つ彼らこそが、今年全国から集まった25名の高校生達です。

    

(AM 7:30) 

この国の玄関口でもある成田空港もこの時間では人もまばらです。その広大なフロアの一角に「2012年 ハローアルソン・フィリピン医療ボランティア」に参加をされる皆さんが集まっています。今年は総勢74名の参加者に恵まれました。そして昨年まで各主要地域から出発していた飛行機も今年は全て成田からの出発となり、北は北海道、南は沖縄まで、全国の参加者が一堂に会しました。簡単な事務局紹介と会長 林 春二 先生の挨拶が終わり、いざ出発となります。今年はどんな感動と出会いが待っているでしょうか。今日本では0°の寒空です。今から4時間後には30°を超えるフィリピンの地に立ちます。不安や希望、様々な思いを胸に飛行機は飛び立ちます・・・・。

      

 
(現地時間 PM 13:30)

 空港を出るとそこはまるで別世界です。むせかえるような空気と南国ならではの湿度。じっとりと汗が滲んできます。参加者達は今まで日本から着ていた黒や茶色の冬服を脱ぎすて皆Tシャツ姿になります。そのTシャツこそ今年のユニフォーム「2012年度版ハロアルTシャツ」です。赤や青、黄色や緑、様々な色がフィリピンの陽ざしに映えます。そしての胸にはデザインを担当する麻田キョウヤが私たちに託した思い。「繋がり」がポップで楽しいハロアルのロゴとなって描かれています。

 今年は74名、大型バスが2台となり全員がA班B班と別れます。そして更に各10人程度が1 ~ 6班に分かれそれぞれに班長が設けられ、大人も子供も様々な人達が4日間の活動を共にします。全員がバスに乗り込みました。各班で班長の点呼が始まります。 
 いよいよ今年の最初の活動「フィリピン カビテ市 ワカス小学校」へ物資の支援活動へ向かいます。

   

 
(PM 15:00)
「カビテ市・バランガイ ワカスエリア 2」

 舗装と言っても日本のように穴一つない綺麗な道路とはお世辞にも言えない凸凹道を通り、バスは目的地を目指します。空港から約45分。マニラの中心地を抜け、むき出しのコンクリートとトタンに覆われただけの小さな家々は、否応にも日本とはまるで違う現実を参加者の目に焼きつかせていきます。

 バスが到着しました。しかし、物資を配付する為に用意された場所は、あまりにも細い路地の先にある為、大型バスが入り込むことはできません。駐車した位置から800メートルほどの距離は、安全面や時間的問題も生じるため、今回は2~3人程乗車できるフィリピンの人達の日常的な“足”となっている「トライシクル・バイクタクシー」をチャーターしました。

  

 

74名の参加者が3人程に分かれ、次々に乗り込みます。このバランガイ(村・集落)に住む住人の多くが「トライシクル」を生業としているため、現地スタッフと相談し、10数台を私たちの為に用意していただきました。料金は1台約8ペソ(日本円で16円程度)。参加者たちは初めて乗る乗り物と現地の方々の屈託のない笑顔、そして私達を心から歓迎してくれる歓喜の声に、先ほどまでの緊張も少しずつ解けていった様子です。 

 

「物資配付活動」
 
このエリアでは550人分の お米・歯ブラシやタオル、固形石鹸、洋服などの生活用品を配布しました。この地区はバランガイ1・2 に分かれており、約3,200人の人達が住んでいます。そのうち1,000人が子供たちです。海沿いに面したこの地域の人々は主に漁師や工事現場作業員、そしてトライシクルといった仕事で生計を立てており、一日の収入は約200ペソ(約400円)その中で食事は一日2回、食費代は6~7人ぐらいの平均的な人数の家族で一日100ペソ(約200円)程度です。しかし、年々増え続ける住人に対しそれだけの仕事がなく生活はとても貧しい状況です。

 ここでは高校生達が主役です。全員が手渡しで直接フィリピンの方々に物資を配っていきます。現地スタッフが簡易テントを用意してくれてはいますが、気温28度を超える暑さと、1,000人近くの出迎えの熱気で、会場はむせかえるようです。

 ここは毎年カビテ市の市長からの依頼で数年前から支援しているエリアでもあります。今年は太鼓やラッパの演奏付きで私達を出迎えてくれました。

 鳴り響く歓迎のメロディーのなか、高校生達、参加者達の笑顔が絶えません。住人たちも最近高騰しているお米や高価な日本製の石鹸、歯ブラシを手に、「サラマッポ・ありがとう」と口々に言います。しかし、私達は大切なことを忘れてはいけません。この物資は全て日本でこの活動に賛同し、1本の歯ブラシ、1枚のタオルに思いを込めて下さった皆さんのお陰だということを、そして現地に到着し、混乱もなく、安全にこの活動ができるのもフィリピンにいる我々の仲間が事前に念密な打ち合わせをしておいてくれたからです。

 私達は忘れてはいけません。私達はボランティアを受ける前に既に多くの人たちから私達自身がボランティアを受けているということを・・・

 物資配付が終わり、私達がバスに乗り込む時、子供たちが大きな声で叫んでいます。

「Thank you、来年もまた来てください・・」

 名残惜しそうに見つめるその眼と、マニラの夕日に映る参加者達の笑顔がとても印象的でした・・・